"古典落語の何割かは過去の遺物となってしまった倫理観に依存して成立している。それを現代のものとして観客に聴かせられる演者がいるという事実は、落語が「物語」ではなく、演者の「演技」のほうに比重がある芸能だということの証明にもなっている。
立川談志は、演者としてこの事実を熟知していた。だからこそ、過去の遺物である落語の物語を自身の言葉と演技で再構成することに熱心だったのである。古臭い芝浜は、談志が新風を吹き込むのにちょうどいい器であった(実際に年を追うごとに演じ方が変化していった)。いわば壮大な実験のための道具であったのに、死んでからはそうした部分が一切無視されて「人情噺の名手」のようにマスメディアで報じられている。さぞかし泉下で無念な思いをしているのではあるまいか。
談志であれば「芝浜」よりも「鼠穴」のほうがよほどいい。これは肉親の間柄でも金の問題は別だ、という身も蓋もない事実を描いた噺である。"
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